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ドイツ語原稿の英訳の校正をして下さったアンドレアス・コップさんに感謝いたします。
元記事はここです。
FonoForum 4/1987 Raritaet aus Ost-Berlin

東ベルリンからの風変わりなシンガー*
カウンターテナー JOCHEN KOWALSKI by Martin Elste

Jochen Kowalski の経歴は、まるでおとぎ話のようである。道具係から人気者のカウンターテナーに至るまでの彼の経歴は、東独で起きたことそれ自体が驚きに値する。ここ東独ではコンサートホールの現実性重視という原則によって、バロックの声は何十年にもわたって現代的な声に置き換えられてきたからである。

1984年にコミッシェオーパで、ヘンデルの「ジュスティーノ」の主題役によってめざましい成功を納めて以来、若手シンガー(1954年生まれ)は、彼の声域を代表する国際的な人気者の一人である。ヨーロッパ大陸からのカウンターテナーは珍しく、東独出身はさらにまれである。これまでこのタイプの声は、ほとんど独占的にイギリス人によって継承されてきた。「6年ほど前までは、このようなものが存在することすら知りませんでした」と、Kowalski はハンブルグでの公演後、東ベルリンに帰る前のインタビューで私にうち明けた。

声域の発見

彼はレコードを通じて、自分の声域に初めて出会った。Charles Makkerras が指揮するパーセルの「Cacilien-Ode」を入手した彼は、初めて Paul Esswood の声を耳にした。リリックテナーを目指して何年も苦労していた彼は「これこそが自分の声に違いない!」と思ったのだった。「しかしそれを誰にも話すことはできませんでした。というのもこれは私たちにとって全く新しい領域で、人々は最初はそれを笑ったからです。」そのため彼は Hanns Eisler カレッジでテナーの勉強をさらに続け、ヒロイックテナーのキャリアを目指して努力した。

オペラは彼にとって子供の頃からの夢だった。「私は Brandenburg mark1) の田舎町の出身で、ティーンエージの頃は、こっそりとバイクで Staatsoper に通ったものです。Unter den Linden までバイクを走らせました。ローエングリンを見たときに、私はそれに非常に魅せられて、どうにかしてそれを歌いたいと思うようになりました。」志あるところ道あり。Kowalski は Staatsoper を訪ねて、道具係として採用された。5年間にわたり彼はオペラビジネスについて習熟した。「その当時すばらしいパフォーマンスを見ることができました。それが私にとって事実上のトレーニングだったのです。リハーサルにいつも立ち会えたことは、非常に幸運でした。」

それに加えて、彼は Volksmusikschule (市民音楽学校) で歌唱法を学び、Musikhochschule (音楽カレッジ)の入学試験を何度か受けた。6年の長きにわたり彼は自分のものではない声域で苦労を重ねた。「声変わり以降も、私は少年アルトのパートを歌うことができました。しかしいずれにせよ使い道のないものだと思ったので、それに対して特に注意を払うことはありませんでした。」Paul Esswood のレコードに勇気づけられた彼は、彼の声楽コーチ Marianne Fischer-Kupfer の前で、[低音域に移調しない] オリジナルのピッチで歌ってみた。「コーチは驚きの叫びをあげると、ご主人のところにとんでいくとこう言いました。『Harry、今すぐここに来てちょうだい。すばらしいものがあるのよ!』」

その当時多くの偶然が重なって、ハレの Landestheater (国立シアター)からカウンターテナーとして歌うことの招待状が、何の予告もなく舞い込んだ。結果的に契約はすぐにまとまり Kowalski は1982年のヘンデルフェスティバルでヘンデル作曲のオペラ混成曲「Il Muzio Scevola」の第3幕を歌った。「それは大評判でした。聴衆は熱狂して大騒ぎでした。私は自分に何が起きたのか全く分かりませんでした。これはハレにとっても初めてのことでした。」そして、彼は申し訳のようにこう付け加えた。「それで私自身もずいぶん楽しい思いをしました。」

この公演は、必然的な結果を招いた。コミッシェオーパのディレクターが居合わせて、Kowalski を文字通りその場で雇ったのである。Kowalski の初舞台は、「ボリス・ゴドゥノフ」の Feodor であった。2作目の「ジュスティーノ」によって、彼が若々しい男らしさを発揮する機会を与えられたことは、ベルリン市民だけでなくミュンヘン、アムステルダム、そしてウィーンの人々も納得するところである。コミッシェオーパの常任俳優の一員であり芸術的にそこを居心地良く感じる彼は、ハンブルグの Staatsoper (ヘンデルの「ベルシャザール」のダニエル、モーツァルトの「La clemenza di Tito」の Annio)、アムステルダム・オーパ (「ボリス・ゴドゥノフ」の Feodor) およびウィーン・フォルクスオーパ (ベルリンプロダクション「ジュスティーノ」採用)にゲスト出演している。

西側のステージは東側とどう違うだろう。「コミッシェオーパでは1つの出し物を3ヶ月続けます。これはシンガーにとっては理想的です。そこではてんてこ舞いになることもなく、プレッシャーもありません。 西側のステージでは、アーチストは練習を重ねた上でリハーサルに現れます。ここでは自力本願でなくてはなりません。そこには手を取って導いてくれる人はいないのです。この夏彼はパリに出向いて Grand Opera でヘンデルの「ジュリアス・シーザー」の Ptolomaeua を Jean Claude Malgoire の下で歌う。彼がむしろ歌いたいと思っているシーザー役については、彼にはまだ時間がある。「私は自分が40才になるまでこの役をとっておかなくてはなりません」。このプロダクションはレコード化されるかもしれない。2)

東西レコード事情

レコードについて。近代的なメディアが Kowalski のようなシンガーを見逃すはずはなかった。彼は既に東西両側で、様々なテレビ録画を行っている。視覚的アピールのないレコードでありのままの声を曝すことは、彼にとってチャレンジであると権威ある評論家は主張する。しかし Kowalski [の成功]は、しばしばこの主張を覆してしまう。「Walter Legge3) のような人物が、背後に控えていなくてはなりません。ムチを手に後ろに立つような。私は自分のためにもそれを望みます。」

彼の最初のリサイタル、プロイセンの作曲家によるバロックアリア4)は、ベルリンの生誕750年祭に合わせて Capriccio レーベルとの共同プロダクションでリリースされた。2枚目のソロレコードは、半分ほどでき上がっている。片面はモーツァルトでもう片面はヘンデルである5)。さらに VEB Deutsche Schallplatten (VEB ドイツレコード)との企画で、グルックの「オルフェオとエウリディーチェ」6)、およびヘンデルの「陽気の人、ふさぎの人、穏和の人」の完全録音7)、並びにヘンデルの「ソロカンタータ」8)のレコーディングなども予定されている。

最後にドイツグラモフォンの Archiv Produktion のために、ジョン・エリオット・ガーディナーの下、モンテヴェルディの「L'Orfeo」で Speranza の役を歌ったが、ここで彼は問題に直面した9)。彼はイギリス出身の同僚の間で、幾分場違いに感じたのである。Kowalski は、イギリスの歴史的流派が継承するビブラートの感情的抑制を、どのように扱って良いか分からないと認めた。彼にとってバロック音楽はエロチックな音楽であり、そこでは声による性的アピールが、演劇的に効果的なオーラと同じくらい重要である。

彼と同じ声域の同僚が歌ったとき、彼はこの側面がしばしば無視されていると感じた。「私にはそれが、たとえ女性の歌い方を基準にしたとしても、腹部[からのサポート]があまりになさすぎるように感じられました。」にもかかわらず非常に女性的な響きを持つ声で、彼はどのようにして男性の役をこなすのだろうか?「声を足のつま先の方に引っ張るんです。これがいつもうまく行くかどうかは分かりませんけど。」程良いビブラートは彼にとって、エロチックな歌唱法に必須の要素である。今も彼の声のコーチである Marianne Fischer-Kupfer も、彼の意見を支持する。「私たちのやり方は、イギリス人とは違う」と、コーチは Kowalski に言った。
カウンターテナーに対する偏見

去年の夏 Kowalski が一緒に仕事をした Elizabeth Schwarzkopf10) は、出だしからカウンターテナーを好まないと述べた。それでも Kowalski が彼女の前で歌ったとき、彼女は彼がまれな男性アルトであることを認めた。彼らは互いに最良の芸術的合意の上に別れた。「Schwarzkopf 氏の初期のモーツァルトほど、私が高く評価するものはありません。私にとってそれらは完璧です。」と、SP盤をこよなく愛するレコード蒐集家の Kowalski は語る。「私の理想的な声の例は、Sutherland、Callas、Wunderlich そしてSchwarskopf を混ぜた声です。私は彼らの声からそれぞれから少しずつ取って歌いたいと思います。Callas の豊かな表現力、Sutherland と Schwarzkopf の完璧なテクニック、そして Wunderlich の美しさです。」

彼が、カストラートとカウンターテナーが同じものを指すと思いこんでいる音楽家や聴衆の無知、無学に繰り返し行き当たることは確かである。「私はこのような音楽を歌うことのできる者は、誰でも朝に夕べに感謝しなくてはならないといつも自分自身に言い聞かせています。このような考えを持っていますから、私の後ろで陰口を言う人々は気になりません。」様式的にかなり限定されているレパートリーのために、拘束されているようには感じないのであろうか?「私は自分のレパートリーが狭いとは思いません。目下少しずつレパートリーを広げている最中です。ハンブルグでの歌の夕べでもロッシーニの の Tancredi から cavatina11)、Di tanti palpiti を初めて試してみました。」

残念なことに彼がボスと呼んで、心から尊敬する Harry Kupfer はロッシーニに全く興味がない。また Kowalski はベリーニやドニゼッティの作品にも彼の声にふさわしい歌を探している。最近アムステルダムから、ブリトンが Alfred Deller12) のために作曲した「真夏の夜の夢」のオベロン役のオファーがあった。10月にはハンサムでスリムな Kowalski は、ウィーン・フォルクスオーパで新しいプロダクション「こうもり」の Orlofsky を歌う。これはおそらくこのオペレッタの史上初めて、役柄を本当に満たす配役であろう。

>12月末には、コミッシェオーパでグルックの「オルフェオとエウリディーチェ」が続く。それがズボン役であり、彼の声域に収まれりさえすれば、彼は新しいものに対して偏見のない心を持っている。「私は『Hoffmanns Erzaehlungen』の Niklaus の役や、Weber の『Oberon』の Puck の役にも惹かれます。 私には、ありとあらゆる突拍子もない役をこなす用意ができています。また現代音楽も彼のプログラムに入っている。彼は最近ハンブルグで東独の作曲家 Ruth Zechlin の連作歌曲集を歌った。「結局のところ現代音楽はチャレンジであり、楽しいものです。私はこの種類の音楽にも敢然と立ち向かわねばならないことは確かです。」

これは確かにカウンターテナーの誰でもが言う言葉ではないが、いかにも Jochen Kowalski らしい発言である。この音楽的理解に優れたシンガーのキャリアが、良い意味で驚きに満ちたものになることは、予言者ならずとも予知できる。

翻訳者ノート

1) margravate (ドイツの辺境伯 margrave の領地)を意味する。

2) J.-C. Malgoiree の指揮する Gulio Cesare は、JKでなく James Bowman と Dominique Visse が参加して Astree レーベルからリリースされている (Astree 8558)。

3) 下にでてくる Elizabeth Schwarzkopf の夫君でディレクター。

4) "Arien aus der Berliner Operngeschichte" (Berlin Classic BC 1050-2)。収録曲の多くは、後日リリースされたベストアルバム (Berlin Classic 0093822BC) にも収録されている。

5) "Haedel & Mozart Arien" (Capriccio 10 213)

6) "Orfeo ed Euridice" (Capriccio 60 008-2)

7) "L'allegro, il pensieroso ed il moderato" (Berlin Classic 1147-2)

8) "Italienische Solokantaten" (Capriccio 10 323)

9) このときの録音は結局 JK でなく Michael Chance が参加して、Deutche Grammophon (419 250-2 ARCHIV PRODUKTION) http://www.deutschegrammophon.com から出されている。

10) フルネーム DAME OLGA MARIA ELISABETH FRIEDERIKE SCHWARZKOPF (1915年12月9日ドイツ Posen 近郊の Jarotschin [現在のポーランド Poznan] 生まれ) 西側の主要なオペラハウスで公演したドイツのソプラノ歌手。ドイツリートの完璧さで有名。

11) おそらくは18世紀のイタリア語 cavata が語源。アリアほど手の込んでいないオペラの挿入歌を指す。

12) この役は、アメリカの伝説的カウンターテナー Russell Oberlin によっても演じられている。その当時のより詳しい事情については、Lylicord レーベルのサイトに掲載されている Oberlin のインタビュー記事を参照されたい。

© 1999 by Cleofide
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http://oakweb.ca/harmony/kowalski/fonoforum-j.html