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元記事はここです。 BZ 2001年1月5日付 Ich bin Jochen Kowalski aus Berlin (PDF) |
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今日、スターアルトシンガーは「こうもり」の当たり役オルロフスキーを演じる by Martina Kaden |
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いつもなら彼は無言のはずである。45歳のヨッヘン・コヴァルスキーは、「こうもり」のすぐ前には口をきかない。難なく高音に到達する貴重な楽器である彼のアルトが弱ってしまうからだ。しかし彼は、今日 Komische Oper で公演されるオルロフスキー伯爵になるのを非常に楽しみにしているので、BZ のために沈黙を破ってくれた。 | |||
-----コヴァルスキーさん、調子はどうですか?
(上機嫌で)最高ですよ!新年コンサートではしくじらなかったし、 Dame Gwyneth Jones と一緒にここで「ネコの二重唱」も歌いました。 「メリーウィドウ」の中のあっと言わせる挿入歌としてです。1) -----ここ数年来、初めての新年コンサートではないですか? その通りです。この5年間というもの、「こうもり」が公演される場所次第でニューヨーク、ウィーン、あるいはハンブルグに行っていましたから。 -----こう言われるのはあんまりお好きじゃないと思うのですが、あなたは大スターですよね。 とんでもありません!そう言うタイトルを付けられるのは嫌いなんです。何だか隅に追い詰められるみたいで。 私はベルリン出身の Jochen Kowalski であって、カルトの対象でも、世界的大スターでもありません。 Marlene Dietrich と Fische-Dieskau だけがベルリン出身の世界的スターです。いいですか! -----そうですか。でもあなたは世界中で歌っていますね。ロンドン、東京、そしてニューヨークの違いは何でしょう? うーん、そうですね。国によっては私の声をまったく聞きたがらないところもあります。例えばイタリアがそうです。あそこではモーツァルトも好まれません。でもロンドンやモスクワでは、観客は大喜びです。日本では、ピアノのスコアを手にして座っている世界で一番準備周到な観客がいます。 そして手のひらで優しく熱心に拍手します。すばらしいです。ニューヨークでは正真正銘の障害にぶつかりました。2) -----それはまたどうして? 1995年のMETでの新年コンサートのことです。3) 私はオルロフスキーを歌う初めての男性でした。私は舞台に出て台詞を述べ、立ち上がって「Ich lade gern mir Gaeste ein」を歌おうとしました。話し声の後に高い歌声になったわけです。ところがどうでしょう。METの観客全員が - 何人ぐらい入るんでしょう 4000 人ぐらいですか? - 笑い始めました。私は自分が死ぬかと思いました。しかしそのとき神様が救いの手をさしのべてくれ、、まるで古い映画のように 私は舞台の前に進み自、分の全てを出し尽くしました。 そして紙吹雪が雨あられと降り注ぎました。本当に鳥肌が立ちました。今でもそんな風なのです。 -----初めての国外公演はどうでしたか? それは1985年ハンブルグでの「ベルシャザル」です。4) それは本当に衝撃的な、本物のカルチャーショックでした。店のショーウィンドウだけでもう、圧倒されてしまいました。 私は非常に動転していたので、リハーサルで自分のテキストを思い出せませんでした。夜も眠れませんでした。 本当にひどかったので3、4日で帰りました。 再び懐かしい灰色の東ベルリンに戻ったとき、本当にほっとしました。今日でも未だに信じられません。世界中が私たちの統一をうらやましがっています。でも人々は不満でいっぱいです。ひどいことです!---- あなたは1983年以来、 Komische Oper に忠誠を尽くしていますね。 ベルリンへの愛情は絶ちがたいのでしょうか? まったくその通りです!私は他のどこへも行こうとは思いません。ヤシの木が生えた島をもらっても、私は Pankow に留まります! ----- ファンのことで何か良いお話はありますか? 結婚の申し込みとか? 山のように来ます(うれしそうに笑う)。そして感動的な手紙も来ます。一度、私の住所を探し当てた女性が、夜中の11時にドアの前に立っていたことがありました。 -----今やアルトのレパートリーは全てこなしたのでしょうか? 最も重要なものは既にやりました。 オルフェオ、シーザー,オルロフスキー、サウル。 しかし、それらがありきたりになることはありません。私には希望があります。リムスキーコルサコフのオペラ、「Schneefloeckchen」の Den Hirten Lel を歌いたいのです。 そしてシューベルトの「冬の旅」をドラマチックに歌うこと。 -----あなたは最初、テナーのレッスンをしていましたね。 アルトの声はどのようにして発見したのでしょうか? 歌のレッスンの最中です。コントラルトは2つの声で歌うことはできません。私にはその2つの声が出せたのです。やがて Charite での検査の結果、私には少年アルトが声変わりしないで残っていることが分かりました。5)私はそのとき2つの声を持っていたのですが、結局はどちらかに決めなくてはなりません。幸いなことに私にはアルトの方が、より自然でした。私はテナーとしては、文字通り極めて "geknoedeln" です。6) -----お迎えが来たとき、聖ペテロの前で何を歌いますか? 7) マタイ受難曲のアルトアリア「Erbarme dich」です。 バッハは巨匠です。それに続くのがモーツァルト、ヘンデル、そして我らがロシア人作曲家達です。8) |
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翻訳者ノート | |||
1)「Duetto buffo di due gatti」。ロッシーニが作曲したと言われているが真偽のほどは明らかでない。おそらく「Merry Widow」のパーティーシーンの挿入歌として余興的に歌われたと思われる。 2) 元の表現はhabe ich eine echte Tuer aufgestossen (本物のドアにぶつかる)。 3)この逸話は別のBZのインタビュー記事、「コヴァルスキー、セイレーンマン」にもある。 4)当時は東西ドイツに分裂していたため、東ドイツ在住のJKにとってハンブルグは外国だった。このときのより生彩に富んだ描写は、シュピーゲルとのインタビュー記事、 「横隔膜のこそばゆさ」にある。 5)これに関するより詳しい記事は、既出「コヴァルスキー、セイレーンマン」を参照されたい。 6)原文「Als Tenor habe ich naemlich ziemlich geknoedelt」。ドイツ語の名詞 "Knoedel" (団子)から派生した動詞「knoedeln」に相当する日本語はない。強いて言えばドイツ語の慣用表現「einen Knoedel im Hals haben 」(団子が喉につまったような声をだす)から、どのような声であるか想像して欲しい。[情報提供元:ゆう子さんm(__)m] 7)元の表現は Wenn Sie oben klopfen (上の方でノックをするとき)。聖ペテロは天国の鍵を持っているとされる。 8)JKはスラブ系なので、親しみを込めてmeine Russen と言っている。© 2002 by Cleofide
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