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ドイツ語原稿の英訳の校正をして下さったアンドレアス・コップさんに感謝いたします。 |
元記事はここです。 DER SPIEGEL 52/1994 Kribbeln im Zwerchfell |
横隔膜のこそばゆさ* スターシンガー Jochen Kowalski が語るカストラート、ワグナーの音楽とセックスそして旧東独の嫌がらせ |
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Jochen Kowalski の国際的キャリアは、実り多い声帯機能不全のお陰である。元々はリリックテノール1) になりたかった Brandenburg の Wachow 出身の肉屋の息子は、声変わり後も女性的な高い声を保ち続け、その声でドイツの古典派およびロマン派の声楽に加えて、バロック時代のカストラート役を演じる。40才の Kowalski はベルリンのコミッシェオーパのスターであり、舞台出演およびレコーディングなどによって、東西ドイツ統一前に既にその存在を知られていた。肩の凝らない音楽のリサイタルも好むアーチストの主要な役には、グルックのオルフェオおよびヘンデルのジュリアス・シーザーの主題役などがある。 |
SPIEGEL:Kowalskiさん、あなたは澄んだ鐘の音のように女性的な声で歌うのですが、何か足りないものがあるんじゃないですか? Kowalski:とんでもありません。全部ちゃんと付いてますよ。でも私は自分の声にまだ慣れていないんです。私にとってこれは今だに解決されていない心理学上の問題です。というのも実のところ、私は自然なテノールになりたかったんです。私にとってのリリックテノールのアイドル Fritz Wunderlich の声を聞くと、未だに時々憂鬱になります。 SPIEGEL:どうしてあなたは高いピッチの声が出るのでしょう。 Kowalski:非常に単純です。声変わり後も私のアルトの声は保たれたのです。Charite2) で、小さなカメラを私の喉に押し込んで調べたところ、私の声帯は他の歌手とは異なってその端でしか振動していないことが分かりました3)。これは一種の欠陥です。したがってステージでは、ヘンデルのジュリアス・シーザーやジュスティーノのようなバロックのカストラートの演題が、主なものになります。 SPIEGEL:あなたはカウンターテナーですね。 Kowalski:正確には違います。彼らは人為的に圧迫された頭声を使い、裏声によって高い声を出します。ですから私はアルトと呼ばれる方を好みます。 SPIEGEL:どれくらい高く歌えますか? Kowalski:普通の女性アルトが歌う f'' [F5] までです。ですから例えばバッハの「マタイ受難曲」のアルトのパートが歌えます。 SPIEGEL:欠陥のある喉頭で、宮廷歌手4)から今や MET のスターになるまでずいぶん多くを成し遂げましたね。 Kowalski:おもしろいものでしょう。私自身も驚いています。以前私は東ドイツの声の奇跡であり、今や私はニューヨークで初めて「こうもり」の Orlowskiを歌います。興奮で何日も眠れませんでした。 SPIEGEL:未だに新しい観客に対する恐れはありますか?
Kowalski:毎回苦戦します。というのは、この声だけが私にふさわしいものであることを、聴衆にいつも納得させねばならないからです。私が歌い始めると聴衆の中に驚きの感情が走ります。彼らはプログラムをのぞき込み、次にステージを見上げます。あそこでステージに立っているのは、本当に男性なのかと。 SPIEGEL:笑いを買ったことはありますか? Kowalski:ある歌の夕べで一度だけ。あの時はそれこそ耳まで真っ赤になって、沸き上がるアドレナリンのでひどくのぼせ上がってしまいました。しかしいつもどうにかして聴衆を納得させます。ときにはプログラムの半分くらいまでかかります。一番最近のシューベルトの「詩人の恋」の夕べでも、観客は最初押し黙り、最後には熱狂して大歓声を上げました。 SPIEGEL:誰がそんな風にあなたに熱を上げるのですか? Kowalski:ドイツ、特にここベルリンの熱狂的な女性の聴衆です。年齢は18才から81才まで。私のツアーについて回り、スカーフや暖かい靴下を編んでくれます。中には私とすぐさま結婚しなくてはならないと思いこんでいる女性さえいます。彼女らは私の中に欲望の対象を見ます。しかし逆にスペインでは男性が私を好みます。 SPIEGEL:多分、色欲の対象の若者として? Kowalski:いや、彼らは私の声に夢中になりますが、ただ一緒にビールを飲みたがるだけです。スペイン人はドイツの芸術歌曲が好きなのです。にもかかわらず私は、彼らが Zarzuelas や彼らの国民的英雄 Montserrat Cabale しか知らないと常に思っていました。 SPIEGEL:カストラートの発祥地イタリアでは、あなたは必ず崇拝されるのではありませんか? Kowalski:それは全くないですね。ローマでのヘンデルのカンタータの夕べは、完全に失敗でした。イタリア人は彼らの「grandi tenori」に固執します。私のアルトの声ではどうにもならないのです。かつては事情がだいぶ違っていました。例えば 有名なカストラートの Farinelli が歌えば、女性は次から次へと感極まって気絶したものです。声楽というのは、いつも性的魅力とエロティシズムに関わりがあります。すばらしい声を聴くと、私はいつでもすぐに横隔膜の下でそれを感じます。腹部で化学プロセスが起こるのです。SPIEGEL: 誰があなたをそのように熱くさせますか? Kowalski:例えば伝説的な Lotte Lehmann ですね。Lotti が引き起こす情感は、途方もありません。技巧的には彼女はそれほど完璧ではないのです。しかしワルキューレ第一幕で Lauritz Melchilor5) と一緒に彼女が歌う Sieglinde を聴くことは、私にとってエロチックな嵐です。彼らの同僚であった Kirsten Flagstad は、かつて Lehmann の登場後にこう言ったそうです。「きちんとした妻なら、これは夫と一緒にベッドにいるときにだけするものだ」と。 SPIEGEL:ヘンデルやグルックを聴いてベッドに直行する人はいませんね。 Kowalski:その通りです。ですから今でも、肉感的なワグナーの「ローエングリン」や「トリスタン」の役を、願わくばバイロイト[音楽祭]で歌うことを夢見ます。「パルジファル」のアルトパートを歌うことを音楽祭ディレクターの Wolfgang Wagner に申し入れて見たのですが、だめでした。Wagner さん、どうぞお願いします。 |
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SPIEGEL:バイロイトに緊急電話を入れなくては。「Gruenen Huegel」のために Elizabeth Schwarzkopf6) のトレーニングを受けましたか? Kowalski:直接的には受けていません。栄誉あるソプラノ歌手の修士過程をちょっとだけのぞいてみました。彼女は私の顔を見るやいなや、不機嫌そうにこう言いました。「私はカウンターテナーには我慢ができないのよ」って。 私は「そうですか、それは私も同じです」7)と答えました。それにも関わらず、彼女は私にいくつかの高い発声を教えたがりました。 SPIEGEL:彼女はイゾルデにはなりたくなかったのですか8)? Kowalski:とんでもありません。彼女は私の脇腹をつついて、頭を押さえつけ理想的な歌唱技術を教え込もうとしました。私たちは互いの無理解の内に別れました。 SPIEGEL:このような意見の相違にはしゅっちゅう出くわしますか? Kowalski:ほとんどありません。ただ古楽器のスペシャリストとして定評のあるイギリスの指揮者、ジョン・エリオット・ガーディナーのときはひどいものでした。私たちはスタイルが一致せず、彼には私の歌手としての個性をつぶしたがる致命的な傾向がありました。そこにはユーモアのかけらもありませんでした。ロンドンで私は、モンテベルディの「L'Orfeo」を彼の下で録音することになっていたのですが、彼はスタジオで私をさんざんにこき下ろしました。私はカウンターテナーのように歌わねばならないと言うのです。 SPIEGEL:あなたが嫌う裏声で、ということですね。 Kowalski:そうなんです。性別も定かでない空っぽの歌い方で。私はガーディナーに激怒しました。「電話帳を開いて、自分で歌手を捜したらどうなんだ」と、ほとんどわめき声になっていました。それ以外で泣いたのは、映画「Der Postmeister」で Heinrich George が死んだときだけです。ガーディナーとは二度と組みたくありません9)。 SPIEGEL:あなたは声が高いので女性歌手と競合しませんか? Kowalski:それは彼女らが最初に考えたことです。私が1987年にウィーンで Orlowski を歌ったとき、宮廷女性歌手が集まって、私がどうにかこうにか役をこなすだろうと高をくくっていました。そこで私はセンセーションを巻き起こしました。Orlowski 役で最も有名な Brigitte Fassbaender は、私の演技の後、もう二度とこの役を歌いたくないと言ったそうです。 SPIEGEL:他の女性的な声のズボン役で歌うつもりはありませんか。例えば「ばらの騎士」の美しい若者 Octavian とか。 Kowalski:絶対あり得ません。いずれにせよそれらのほとんどは私には高すぎます。また Richard Strauss は、このような役割を明らかに女性のために書きました。若い女性が若者の役を演じることの性的アピールと関係があります。二人の女性が愛し合うカップルを演じることが、当時流行っていたのです。もし私がその役を演じたら、恥ずかしい女装趣味者の演題になってしまいます。私はまともに受けとめてもらいたいのです。SPIEGEL:芸能人としても明らかにそうですね。しょっちゅうキッチュな作品も扱われるようですが。 Kowalski: ええ、そうです。私はそれらの作品を歌曲リサイタルのおまけとして歌うことが大好きです。挑発的な態度でピアノの脇に立ち、夜会服の襟を立てて、片方の眉をつり上げ感傷的に声を震わせて「Roter Mohn(赤いひなげし)」を歌います。 SPIEGEL:チリ出身の歌姫 Rosita Scrrano10) の不滅のセンチメンタルソングですね。 Kowalski:すると観客は一斉に笑います。これが私の見せ場なんです。子供の頃からヒットソングやセンチメンタルソングに惹かれる傾向がありました。ベルリンの Deutschen Theater で、俳優仲間の3人と一緒に娯楽プログラムを非常に成功裏に開催しています。題名は「Eine Sehnsucht, ganz egal wonach! (あこがれ)」で、プログラムのおしまいにトリルで「Du hast Glueck bei den Frau'n, Bel-ami (友よ、君には女運がついている)」を歌います11)。 SPIEGEL:余暇には何をして過ごしますか? Kowalski:肩の凝らないことですね。ここコミッシェオーパで私の好きな演出家 Harry Kupfer と一緒に6、7時間の厳しいリハーサルを終えて本当に疲れ果てたときには、「Die Frau meiner Traeume(理想の女性)」の Marika Roekk のような、感傷的なビデオのヒロインに囲まれて過ごします。そしてメロドラマ「Heimat (故郷)」を見て Zarah Leander の声が響き渡ると、この娘はどの声のタイプで歌っているのだろうかと、しばしば自問するわけです。これは本当にすばらしいことです。私はドイツの UFA フィルム12) と、その歌に心底惚れ込んでいます。私は14才の時にもらったグラモフォンと何枚もの古いSP盤を手始めに、これらを集め続けています。 SPIEGEL:ご家族はあなたの性向に理解を示してくれましたか? Kowalski:ええ。私は Brandenburg の田舎町 Wachow の肉屋に生まれましたが、家では皆がいつでも歌っていました。私の母は熱心なプロテスタントで、毎日曜日10時きっかりに礼拝の指揮を勤めました。母の声は、高くドラマチックなソプラノで、美しく崇高な暖かさがありました。父は屠殺場で十八番の「Es steht ein Soldat am Wolgastrand (ボルガ河岸に立つ兵士)」13)を大声で歌っていました。 SPIEGEL:伝統的な子供時代ですね。 Kowalski:うーん、そうですね。そして何と伝統的であったことか。土曜日の西側の番組「Tratsch im Treppenhaus (階段のうわさ話)」や似たような笑劇で、Henry Vahl と Heidi Kabel を観るのが贅沢の極みでした。すばらしかったです。私はそれらを全部ビデオに納めたものです。そして1985年になって、ようやくすばらしい Ohnsorg [劇場]のコメディアンをライブで見ることが許されたわけです。 |
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SPIEGEL:あなたには旅行許可があったので、壁崩壊前の遙か以前から西側で客演公演を重ねていましたね。初めての西独はどのようなものでしたか? Kowalski:刺激的でした。1985年の1月27日にハンブルグの Dammtor 駅に降り立ちました。私は Staatsoper で予言者ダニエルの宗教劇、ヘンデルの「ベルシャザール」を歌うことになっていました。しかし私が最初に考えたのは、「Reeperbahn14) に行こう」でした。結局のところ Sex Shop が見たかったのです。ビールを何杯か引っかけた後に勇気を奮って入りました。毎晩通いました。これまでの分を取り戻さなくっちゃなりません。 SPIEGEL: 進んだ文明との接触はいかがでしたか? Kowalski:それは非常につかの間でした。Neumeier のバレー「白鳥の湖」のチケットを持っていたんですが、貧相な東側の人間(Ossi)だった私は非常に恥ずかしい思いをしました。Elbe 通りから入ってくる人々は身なりが良く、日焼けしてこざっぱりとし、とても良い香りがしました。私は幕間にはトイレに閉じこもり、やがてこっそりと抜け出しました。 SPIEGEL:資本主義の芳香は、鼻先に不愉快でしたか? Kowalski:そんなことはありません。私はすぐに服と香水を買いました。後に西側でもらった給料のお陰で本物の車、高速で走る黒い BMW を買うこともできました。SPIEGEL:その車は母国で悪感情を引き起こしませんでしたか? Kowalski:彼らは車の持ち込みを許そうとしませんでした。私が貿易省の Genossin Adler からの輸入許可証を呈示したのにも関わらず、おつむの足りなさそうな国境警備兵が3時間半にわたって電話をかけまくりました。最後に私は捨て鉢になって一芝居打ち、共産党政治局員の Kurt Hager の名前を出して脅かしました。すると突然西独車の持ち込みが許されました。次はベルリンの税関が車の検査に3日間をかけてくれました。結論:BMW は、東独の交通法規に合致しない。「何だって?」と私は叫びました。しかし「車の後輪に泥よけが付いていない」と税関職員は言い張るのです。明らかに嫌がらせです。 SPIEGEL:その泥のドラマの顛末はどのようなものでしたか? Kowalski: 私は尋ねました。「コムラッド、ここは何時まで開いてるんだい? ちょっと KeDeWe15) まで出向いて、その泥よけなるものを買ってこようじゃないか」。16) 彼らの仏頂面といったら! ちなみに今日ではありとあらゆる BMW が私の住む通りを走っています。 SPIEGEL:新生ドイツの住み心地はいかがですか? Kowalski: もちろん快適です。しかし私の芸術家としてのルーツが東独にあることは事実です。私の愛するコミッシェオーパで Harry Kupfer が私を発見し、ここで私は Benjamin17) としてキャリアを踏み出し、かなり年は取りましたが、同僚にとって私は未だに愛される末っ子的な存在です。 |
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SPIEGEL: あなたの喉に休むときが来るのはいつでしょうか? Kowalski:まだあと10年は歌い続けたいと思います。 SPIEGEL: 別れの歌として夢見るのは何でしょうか? Kowalski:「マタイ受難曲」のアルトのパートです。この曲を美しく歌いたいと思います。これ以上のクライマックスはありません。 SPIEGEL: そして最後の見せ場は何でしょうか? Kowalski: 当然、赤線カンタータ「Roter Mohn」です。 SPIEGEL:記念すべきその日には、頭押さえつけの狂信者ジョン・エリオット・ガーディナーに古楽器で伴奏をつけてもらうことにしましょう。 Kowalski: すばらしいアイデアです。こうしてアルトシンガーは世に別れを告げるのです。 SPIEGEL: 宮廷歌手殿、本日はインタビューをお受けしていただいてありがとうございました。 |
翻訳者ノート |
1) 抒情的で繊細な表現に適するやわらかな声質のテノール(歌手)。テノールの他のカテゴリは、 豊かで力強く、重々しい表現に適した太い声質のテノール(歌手)であるドラマティックテノール、および華麗と量感をもってオペラ、 特にワグナーの楽劇の英雄の役割を歌うのに適したテノールであるヘルデンテノールの2つ。 2) ビデオ「Kowalskiが語るカストラートの世界」にも出てくる、ベルリンの Humboldt University Clinic。 http://www.charite.de/index/deutsch.html 3) これについては、通常のファルセットの一種にすぎないと反論している評論家もいる。 4) 優れたシンガーに与えられる称号(Kammersaenger)。元々は王侯貴族の私室(Kammer)への出入りを許された身分を意味する。 5) コペンハーゲン生まれの有名なヘルデンテノール歌手(1890-1973)。 6)フルネーム DAME OLGA MARIA ELISABETH FRIEDERIKE SCHWARZKOPF (1915年12月9日ドイツ Posen 近郊の Jarotschin [現在のポーランド Poznan] 生まれ) 西側の主要なオペラハウスで公演したドイツのソプラノ歌手。ドイツリートの完璧さで有名。 7) 原文では「Na, ick ooch nich.」となっていて、標準ドイツ語なら「Na, ich auch nicht.」となるところを生粋のベルリンなまりで答えている。 8) 上に出てくるオペラ「トリスタンとイゾルデ」の登場人物にかけたしゃれ。 9) このときの録音は結局 JK ではなく Michael Chance が参加して Deutche Grammophon から出されている。
10)彼女の歌う Roter Mohn のサンプルクリップはドイツのオンラインCDショップ jpc で聞くことができる。 http://www.jpc.de/index_en.shtml 11) Deutsches Theater のサイト http://www.deutsches-theater.berlin.ne 12) Universum Film Aktiengesellschaftの頭文字。ドイツの主要な制作会社、配給会社、および上映会社が合併してできた政府助成複合企業。民営化企業に転換後、UFAは欧州唯一の最大級スタジオとなり、ワイマール共和国 (1919-33)時代、ドイツ映画の「黄金時代」に関わる映画のほとんどを制作した。 13) Franz Lehar のオペレッタ"Der Zarewitsch"の最も有名なアリア。 14)ハンブルグにある世界的に有名な歓楽街。ここでは売春は合法であり警察の管轄下におかれる。 15) Kaufhaus des Westens の略称。旧西ベルリンにあった有名な大型デパート。KaDeWe は、当時の東ドイツにおいて西側資本主義の象徴であった。 16) 原文は「Jut, ick fahr' mal eben rueber ins KaDeWe und hol' diese Abspritz-Ottos.」となっており、ここでも JK は、訳者泣かせのベルリン弁 (Jut, ick) を使っている。これに最も近い日本語は関西弁であるという説もあるが、真偽のほどは定かでない。 17) ヤコブが寵愛した末息子 [Gen 35: 16-18, 42:4]。ここではグループの中で愛される最年少のメンバーを指す。 |
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